2003年7月26日(土)
犬よ、お前も孤独なのか
滝沢村 相の沢キャンプ場
 土曜、また働いた。寝たり起きたりしながら過ごし、夕方に少し自宅で仕事をした。職場に出るほどではなかったが、今回も休みを削ってしまった。貴重な休日が無傷でいられるのはきわめて珍しいといえる。

 この日、東北は宮城県を中心に大きな地震が相次いだとニュースが伝えている。キャンプ中に揺れて職場に参集する羽目になったらどうしよう。おびえながらも、やっぱり荷物を積み込んでキャンプ場へ向かった。

 朝から晴れやかな気持ちでキャンプに出かけられるのならどこか遠くへ行っただろうが、今回も夕方からの出撃だ。近場で手軽に済ませることにしよう。
 ひとりキャンプをするとき、食事は質素なもので我慢している。今回も、例によってインスタントラーメン程度だ。とはいえ、今日はゴロゴロしたりゴソゴソ働いたりしていたのでまともな食事をしていない。ガッツリいきたい気分だ。早い夕食は、途中のそば店で軽く済ませ、夜食のつもりでホカ弁を買い求めた。

 車で30分、今回も滝沢村の相の沢キャンプ場。仲間と訪れたキャンプも含めると、これが4回目だ。「ホームフィールド」と言ってよいだろう。近くて静かで清潔で無料。週末にぶらりとキャンプに訪れるには好適な場所だ。



 19時に到着。駐車場には車が一台もない。今回は、いつもの場所ではなく、駐車場に近い所を選んだ。何かがあった場合に、積み込みの時間を短縮するためだ。トイレへの距離は、普段の所と変わらない。

 車を降り、テントを張る場所を探す。車まで10m離れていないところ、スギの木の根元に決めた。近くにはだれもいない。

 日は暮れかけて、薄暗くなっている。手早くテントを設営する。しかし、強風が吹き荒れる。苦労しながらも、何とかムーンライトテントを張る。

 緊急時には急いで撤収することになる。そんなときに困らないように、車から運び出す荷物は最小限。これでいいのだ。シュラフにマット、水筒、クーラーバッグ、ロウソクランタン、ストーブにクッカー程度。身軽である。
 今回は、初めてヘッドランプを使ってみた。頭にベルトでつけて目の前を照らすアレだ。なかなかよい。LEDの鋭い光が、顔を向けた方を自然に照らす。

 テントに入れば強風も関係ない。前室では、いつものロウソクがやさしい光を放つ。風が強いせいか、蚊が一匹もいない。虫除けも使わずに済むので、快適である。

 マットの上にシュラフを広げ、横になってみる。テントの外では変わらず風が唸っている。頭上では木の枝がガサガサとぶつかり合う音が聞こえる。強風の中でキャンプをするのは初めてだなぁと思う。

 ホカ弁を食べる。シエラカップでスープを作り、唐揚げ弁当を食べた。柔らかくておいしい。テントの中、背中を丸めるようにして前室に向かい、ほのかな灯りのなか、穏やかで平和な食事を終えた。
 酒は飲まなかった。何かあって職場に出るとして、運転できずに出動しなかったらまずい。普通の休暇なら堂々と飲んでキャンプを楽しんでやるところだが、今日は休みとはいえ地震が相次いだ地域がある。へまをやれば、報道人生が危うくなる。つらいけど好きで選んだ仕事、まだ落馬するには惜しい。

 普段よりこまめに身の回りを片づけつつ、シュラフの上に横になって本をめくる。昨日買った「野遊び」の本だが、野宿好きのライターだかカメラマンだかが、勝手なことを好き放題に書いている。道具の自慢であったり、武勇伝であったり。シュラフカバーがあれば雨の中でも野宿できる…、など。

 何だこれは。ちくしょう、うらやましいぞ。

 うらやましすぎて買った本だ。自由人の勝手な文章を読みつつ、こんな暮らしが自分にもできたならいいのにと自分の境遇を哀れんでみる。どうすることもできないが、こうしてひとりキャンプをしている間は、せめて自分もつかの間の自由人。新しいひとりキャンプを探ることにもつながるだろう。

 やがて、眠くなったので寝た。23時台だったと思う。
 夜中、一度騒音が聞こえて目が覚めた。けたたましい単車の音。ならず者の低能集団がやってきたのだ。キャンプ場の前を走る道路は走りやすくて楽しいのだろう。昼間走れば山や緑が見えて景色もいいのに。

 毎回思うが、実に不毛なことである。頭が悪いことは、実に哀れだと思う。だから私は、彼らのことを心から気の毒に感じるのだ。

 駐車場に入り込んではこなかったので、至近距離で鳴らされずに済んだ。かわいそうな音の主たちは、どこかへ走り去った。あれで楽しいのだろうか。

 ならず者とまでは言わないが、私の職場にもガキが多くて違和感を感じる日々だ。年齢は私よりも少し上だったりする連中。テレビゲームが好きな「男児」が多く、夜や休日に集まってはサッカーゲームに興じている。

 職場の机の上には、フィギュアと呼べば聞こえはいいのか、人形ともつかない奇怪なおもちゃが並んでいる。一応仕事はしているようだが、それでいいんだろうか。連中は、ギャァギャァつるんで騒いでいるばかりだ。

 ふん、ガキめ。時間の使い方もわからないのか。

 そんなガキどもだから、ひとりキャンプなどの崇高で趣深い大人の楽しみが理解できるはずもない。私がなおさらひとりになりたくなる理由がここにあるのだ。
 5時頃、起きた。外に出て景色を眺める。風は収まっていた。太陽が現れて、眩しい陽射しが注いでいる。青空だ。目の前の緑の丘陵が、朝日を受けて輝いている。美しい。テントに戻ってカメラを引っぱり出した。数枚、パシャパシャとシャッターを切ってみた。



 トイレに行ったついでに、普段テントを張っている場所を歩いてみる。まだ誰も起きていないようだ。

 ソロテントが1張り、傍らにバイクがあるのでライダーだろう。他にも2張り程度見える。さらに奥に目をやると、車3台を深々と乗り入れたグループのテントが見えた。車の乗り入れはできないはずなのに。コールマンの立派なテントを誇らしげに張っている。う〜ん、きっと何もわかっちゃいないんだろうね。

 ま、他人のことはどうだっていい。テントに戻って朝寝を楽しむ。喜びのひとときの始まりだ。陽射しを浴びつつも、テントの中は温度も上がりすぎず快適だ。
 9時頃、目が覚めた。駐車場には車が集まってくる。登山客だ。ハイキング気分で気軽に登れるから、中高年の女性グループも見受けられる。

 犬の吠える声が聞こえる。登山客が連れてきた犬なのか。そう思って、テントの中でのんびりしていたが、やがて犬の声が近くから聞こえるようになった。大切なテントに小便でもかけられてはたまらない。防衛せねば。

 近くを歩いていたのは白い犬だった。首輪はない。私に向かって吠えるが、敵意があっての声ではない。昔、実家に犬がいたので分かる。仕方ない、構ってやろう。

 犬は、ところどころに皮膚病と見られる異変が見受けられた。手を触れない方が身のためだろう。追い回してやると、喜んで逃げる。遊んでもらうのがずいぶんうれしいのだろう。尻尾を振りながら走り回る。落ちている枝や松ぼっくりを放り投げると、犬は勢いよく走っていって拾う。しばらく遊んでやった。

 犬は、私のそばで「伏せ」の姿勢をするようになった。その姿勢で吠える。エサをねだっているのだ。ここに捨てられたのか知らないが、いいものを食べているとも思えない。あいにく、私は与えられるようなものを持っていないので何もやらなかった。エサを与えてなつかれてしまっても困る。



 結局、しばらくそばに座っていた犬も、見込みがないとあきらめたのか、こちらを振り返りながら去っていった。私と犬、境遇は似ている気がした。私も孤独、そしてあの犬も孤独だっただろう。捨てられたのだとすれば哀れな話。気の毒だ。
 朝食はラーメン。ストーブで湯を沸かして麺を煮込む。韓国のラーメンは、麺と一緒にスープを入れる。日本のラーメンは茹で上がる直前にスープを入れる。それがどうした。

 あたりにいい匂いが漂ったらしい。それがいけなかったのか。テントの前を通る人は少ないのだが、たまたまオバチャン2人組が通った。「いい匂いねぇ」「ホント、いい匂い」。そうかいそうかい。いいからあっちへ行ってくれ。

 「あら」。1人が立ち止まる。私に気づいたようだ。もう1人を呼ぶ。「こっちいらっしゃいよ」。うへぇー、やめてくれ。見せ物じゃないんだ。何なんだ。しばし、ここに書くと支障があるやりとり15秒。

 挙げ句、「1人で泊まっているの?」「えぇ」「あらそう」。何だよ。悪いのかよ。気の毒な奴、とでもいいたいのか。私が1人で軽く憤っているうちに、オバチャンはスタスタと行ってしまった。やれやれ。

 本は、昼頃までに読んでしまった。ま、楽しそうでうらやましい世界の本だった、というのが的確で簡潔な感想だろうか。これを読むことで現実逃避のインパクトが増すのではないかと思ってみる。

 風がまた強くなってきた。昼過ぎに撤収し、自室に荷物を置いて歯を磨いた後、散髪に行った。身も心も、いつものようにリフレッシュできたキャンプだった。

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