2003年10月18日(土)
紅葉の中の温泉
北上市 夏油温泉キャンプ場
 紅葉の季節である。東北の紅葉は見事だ。着任以来、東北の四季は皆美しく、めぐる季節のすべてが喜びに満ちているのだ。ここへ来てよかったと、毎年、毎月のように空を拝んで感謝しているくらいだといっても過言ではない…?



 紅葉を見に行かなくては、心の整理がつかない。そこには、この美しい紅葉を見ずに無駄にしてしまうのかという問いが一つ。そして、夏が去って冬に移ろうというこの季節に、もう当分の間キャンプができなくなるのだという厳然たる事実を思い知らなければならないという悲しみがある。

 言うならば、自分の中で諦めるというか区切りをつけるというか、両足で踏み切るように行う作業である。あたかもそれは、葬儀が死者などのためでは到底なく、残された生者が死者のことを諦めて気持ちに区切りを打つための儀式であるかのようだ。

 難しくなったが…。要するに、紅葉を見て夏とお別れし、冬が来るんだぞということを自分に言い聞かせるため、自らを納得させるために出かけるようなものなのかもしれない、という意味ね。むしろこちらの方が大きいかもしれないとさえ思っている。
 これくらいの季節になって思うのは、いつ頃までキャンプできるだろうかということ。

 気合いの入っている向きには、雪中キャンプという選択肢が燦然と輝くが、私のようなヘナチョコ・ソロキャンパーにはちょいと敷居が高い。第一、そんな設備は持っていないし、ノウハウもないから死ぬかもしれない。

 それに、雪道の運転に長年親しんでいるわけでもなければ、愛車だって冬道に向かないFR車なのだ。死にたくなければ、下手に遠出をしようなどという気を起こさないことである。

 毎回、「これが今年最後のキャンプになるかも知れない」と考えつつ、有終の美を飾れればこの上ない喜びだと念じているのだ。さて、今回が果たしてそうなるのか。それとも、雪に閉ざされる前にもう一度くらいキャンプをするのか。
 行ってみたいところがある。奥羽山脈に抱かれた北上市の夏油(げとう)温泉キャンプ場。岩手県を代表する温泉の一つだ。

 携帯も圏外で、ここへ取材に出かけると苦労すると聞いた。まだ続いているようにも思える「秘湯ブーム」のおかげなのか、それなりに混んでいる人気の温泉とも聞く。

 しかし、渋滞にでも巻き込まれない限り、私にはそんな混雑など無縁である。旅館は一杯だとしても、その温泉のすぐ手前にあるキャンプ場は、手元の資料によると混雑度1。うまくすれば貸し切りにできるようなキャンプ場らしい。もちろん無料。野趣あふれる、とか書いてある。これは必ずしも褒め言葉ではないだろうが、私は幸いにしてそういう立地条件を求めてすらいる。

 夏油温泉に入ってみたい。そして、紅葉の中、ひっそりと静かなところでキャンプしてみたい。もうこれは行くしかないだろう。目的地を決めた。職場で湯の評判を聞くと、皆が褒める。細い谷の山道を登って行くらしい。
 日没が早くなっている。もう17時には暗くなる。夕方、暗くなる前に現着しなければならない。いそいそと出発する。国道4号や、その裏道を通って南下し、北上市に入ったところで西へ進路を変える。

 途中、ダム湖があった。美しい。紅葉が私を歓迎してくれているかのようだ。そして県道はやがて狭くなり、注意しなければ離合できないくらいになった。

 所々で車を停めて、紅葉を味わう。案内表示によると、現場はもうすぐそこだから急がずに道中を楽しむことにする。これこれ、この余裕だ。ふだんの生活にもこうした余裕がほしいものだ。

 キャンプ場に着いた。野営場とか書いてある。おぉ。野営だ。キャンプと書かれると、まぁ、軟派だとまでは言わないが何だか現代風でソフトなイメージ。野営と聞くと身が引き締まる。野営でゴワス。気合いが入るようだ。
 道路沿いに広い駐車場と奥にトイレがあって、その駐車場の上手(かみて。正面向かって右のことね)を上っていく砂利道がある。そちらに車を回す。狭い。草木が車に当たる音がする。すぐに坂を上りきり、行き止まりになった。



 車を降りて辺りを見回す。足下を沢が右から左に流れ、その向こう左手奥に炊事場が見える。辺りは木々が茂っていて薄暗い。照明もない。キャンプ場ではないみたいだ。

 道は沢を渡ってそのまま奥まで続いているが、炊事場の辺りにはコンクリート製のテーブルやイスが据え付けられているし、スペースもある。沢を越えられない車はここまでなので、あまりに遠いと荷物運びで疲れてしまう。よし、ここにしよう。

 テントの下に敷くブルーシート、テント、スノコ、シュラフ、マット、ストーブ類。今回はテーブルなどを使わないことにした。コンクリートとはいえ、そこら辺に据え付けてあるからだ。

 腰掛けてみる。イスの座面と、やたらと分厚いテーブルが近接していて、その間に脚をダラリと降ろすことができない。つまり、横や後ろを向いてしか座れないのだ。むむむ。許されざる欠陥設計。諦めて、さっさとテントを設営。あっという間に完成した。荷物が少ないということはいいことだ。
 ほどなく、雨が降り出した。小雨である。予報では確かに芳しくないということだったが。今夜はこんな調子で雨が続くかも知れない。お天気には抗えない。それでいい。

 だいぶ暗くなってきた。闇になる前に、車で数分のところにあるという夏油温泉に行ってみる。初めてである。

 駐車場はほぼ一杯。なるほど人気らしい。温泉宿の入り口には「秘湯を守る会会員」などと書かれた看板が下がっている。秘湯とは何だっただろうか、と思いをめぐらせる。まぁ、細かいことはいい。



 露天風呂へ通じる通路の入り口に窓口がある。400円払って黄色い紙片、切符をもらう。露天風呂はいくつかあって、お湯の種類も違うと聞く。一番奥にある、川縁の風呂に入ることにする。

 時間帯によって混浴だったり女性専用だったりする。この時間は混浴。男も入ってよいのだ。入るとほとんどがオジサンで、夫婦が一組入っていた。興味もないので、ただ静かに岩風呂に浸かる。

 風呂の前には、渓谷の切り立った崖が広がる。木々は見事に紅葉していて、美しい。見とれる。

 大学生と見られる若い集団が入ってきて、湯船に徳利と猪口の乗ったお盆を浮かべ、酒盛りを始めた。酒のにおいをプンプンさせる。風呂は硫黄の香りがするお湯だったが、かき消されている。無念。

 しばらく浸かっている。数日前、寝起きに変な背伸びをして肩を痛めた。医者に行かなくてはダメかとも思っていたが、こうしてしばらく温泉に浸かっていたなら症状も改善するかも知れない。30分ほど浸かって、よく冷えた牛乳を買い、温泉を後にした。雨は本降りになっていた。
 キャンプ場に着き、車内で牛乳を飲みながら雨が収まるのを待つ。エンジンを止め、ライトも消すと闇に包まれた。何も見えない。見上げると、空は、雲が低いからか薄暗く光っているように見える。

 小雨になったのを見計らい、沢を飛び越えてテントに駆け寄る。風呂に行くときには霧雨のような雨だった。まさか本降りになるとは。テントは前室を開けていた。スノコや、入り口が少し濡れてしまった。

 とにかく潜り込んでみる。シュラフを広げ、その上に寝転がる。静かにフライをたたく雨の音。こうして聞くのは何度目だろう。最近はキャンプをするとよく雨に降られる。日頃の行いを思い返してみても、別に悪いことはしていないのだが。

 ラジオも携帯も圏外だ。こうなると短波ラジオが欲しくなる。何も聞こえないというのはそれなりに寂しいことだ。購入を検討してみた方がいいのだろうか。でも、これ以上物が増えるのもナンである。

 外で食事をするのは諦めた。灯油ストーブは前室で使うには心配がある。点火の時、少し高く炎が上がることがあるからだ。

 何も食べずに寝てしまおうかとも思ったが、腹は減っている。ガスストーブを使い、前室で簡単に何か作って食べることにした。まずお湯を沸かして「どん兵衛」、次に、炊いてきたごはんを温めて、さらに暖めたレトルトのハヤシをかけて食べる。満腹である。

 アルコールは飲まずに、そのまま寝てしまうことにした。思えばこの週末、朝寝をしていない。まだ22時前後だというのに、眠気も覚えるくらいだ。おとなしく夜に溶けてしまおう。
 朝。果たして雨は上がっていた。上空は雲間から青空も見える。しかし、雲は高度が低く、流れが速い。天候の回復はこれからではないだろうか。テントのフライシートには、雨粒の他に落ちてきた葉もついている。周囲はふかふかとした落ち葉で、まさに落ち葉の中に寝ていたことになる。



 朝風呂にしよう。温泉地でキャンプをしているのならそれは当然のこと。テントのフライシートを閉じ、昨日のように沢を飛び越えて車に乗り込んだ。温泉はすぐ近く。昨日と同じように入湯券を買って風呂へ。昨日のような混雑はなく、私一人だった。

 紅葉を眺めながら静かに浸かる。この風呂は洗い場がなく、シャンプーも石鹸も使えない。湯に潜って頭をすすぐ。新陳代謝が平均的な日本人より盛んな私は、頭皮の脂をシャンプーでスッキリ洗い流してしまいたい。しかし、ここではここのルールに従う。私は善良な市民なのだ。

 やがて数人の宿泊客が入ってきた。話し声は東北の言葉ではないので、きっと遠くからこの温泉を目指してやってきたのだろう。根強いファンが他の地方にもいるのだ。

 今朝はコーヒー牛乳を売店で買って温泉を後にする。車を走らせ、キャンプ場に戻る。途中、何台もの車とすれ違う。県外ナンバーが多い。この温泉は10月一杯で一旦営業を終える。雪に閉ざされる間、長い冬休みに入るのだ。最後の紅葉、最後の温泉を楽しむ客でにぎわう。

 車を戻そうと思って見上げると、もともと停めていたところに他の車が入っている。道路沿いの広場にはマイクロバス。キノコ取りが団体でやってきたのだろう。沢の手前では車を転回させることができないはずだ。仕方なくバックで坂を上る。

 湯を沸かしてごはんを温め、キムチラーメンを作る。私のキャンプの定番である。食べていると、10mほど離れた坂を次々とキノコ取りの中高年が通っていく。

 山へ入る者、駐車場へ戻る者。犬をつれた者もいる。大きくて高価そうなブランド犬。野山を散歩させるのはいいけれど、犬の小便がかかったキノコをとるなんてと思うと…。
 食事を終える頃、日が射していた。テントをテーブルに広げて乾かす間に、小物類をあれこれと車に積み込む。いちいち沢を飛び越えて数往復。今回はそれほど荷物も多くないけれど。やはり車のそばにテントを張れるなら便利でよいなぁ。

 テントも乾いたので畳んで積み込む。テントに敷いていたブルーシートは生乾きだが、別の機会に乾かすことにしてとりあえず汚れを落として積み込んだ。

 雨は降ったけれども、紅葉の中でキャンプした上に温泉にも入って満足である。雨が降るのならタープがあった方がいいかも知れないな、などと思いながら、キャンプ場を後にする。

 秋の陽に照らされた紅葉の中を快調にドライブして、私は現実の世界へと戻っていった。

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