2004年1月3日(土)
吹雪のなかで正月キャンプ
滝沢村 相の沢キャンプ場


 世間は正月である。ただ、私は大晦日から元日未明にかけて年越し勤務だった。さらに、2日は早出。他人が休んでいるときに働き、社会が働いているときに私は休むのだ。3日と4日は休みになった。それならキャンプだろう。

 冬キャンプの経験はなかった。冬にはキャンプなどせずに冬眠するものだろうとばかり思っていた。でも、調べてみると何とかなるのではないか、という気持ちになった。かといって、わざわざ寒いときにキャンプをするのもどうかと思っていた。回りくどい?

 だから、このキャンプは最初から「ネタ」だったのだよ。

 正月、キャンプをしました。こういうと、周囲にインパクトを与えることができるだろう。気合いの入った冬キャンプ愛好家なら別に珍しくもないし、年越しキャンプをしている人も多いはず。しかし、私の周りにはそういう人種もいない。だから、気合いの入ったキャンプ好き、あるいはほとんどビョーキのキャンパーという印象を強烈に与えることに成功するのではないか、と踏んだのだ。

 本当は県南に行くつもりだった。積雪もなく、このあたりよりは温かいだろう。しかし、どうも風が強そうだった。一応3日は普段の休みより早めに起きていたのだが、ネットで気象図などを眺めているうちに判断をするのが遅れた。午後になって、「ヨシ、やっぱ行こう」となったのだ。何たる優柔不断。これではいけない。
 いつものように食料や水などを積んで出発。しかし、時刻は16時。これから県南を目指しても、到着する頃に真っ暗になっていたのでは仕方がない。計画変更。隣の滝沢村、この時間から出かけられるのはここしかない。



 東の空から夜が迫ってくる。わずかに残った昼の記憶を追いかけるように、西に車を走らせる。途中、小岩井農場の前を通る道路は凍り始めていて、対向車もきわめて少ない。これが冬の姿なのだな。急がず、しかし確実に。しずしずと車を進め、目的地の相の沢キャンプ場に到着した。



 駐車場には車が通った後がある。相の沢牧野は、冬の間は歩くスキーのコースになっているらしい。積雪は10センチか15センチはありそうだ。いつもの定位置にテントを張りたいが、奥まで雪を踏んで入るのが億劫だ。車を停めるところのすぐ脇、蓋のない側溝の先にしよう。積もっている雪を踏みしめ、テントを張れるスペースを作った。

 設営は、今回の場合、いつもより手早く済ませなければならない。というのも、モタモタしていると途中で気が変わってしまうおそれがあるからだ。何としても、このキャンプを成功させて「ネタ」としなければならない。

 雪を踏み固めた範囲に、テントを置いてペグを打つ。土ではなく雪に打つペグ。しっかり踏み固めたところにきちんと打たないと、飛ばされるかもしれない。手抜かりは許されない。寒いなか、見えない何かに背中を強く押されるような思いで設営を済ませた。
 今回は寒いなかでのキャンプである。寒さに負けずに元気に活動するため、防寒対策を考えてきた。2段重ねのジャンパー、マフラー、毛糸のマスク、ニットキャップ。下半身はいつものズボンであるけれども、上半身は万全の態勢で臨む。いつも元気で活躍する革命的労働者、風邪など引いている場合ではないのだ。



 寝袋は氷点下10度までOKのスノーピーク。たぶん、これがあれば寒さにも負けないだろう。予報は、最低気温が氷点下5度程度と言っていた気がする。それなら楽勝だ。しかし、せっかく買った「湯たんぽ」を忘れてきたことに気づいた。まだ一度も使っていない。今回が使い初めのチャンスだったのに。

 テントの中にマットとシュラフを運び込み、前室にツールボックス、また、シュラフの脇に食糧バッグを配置する。よし、これで寝床は確保できた。下から伝わる雪の冷たさを、マットが遮ってくれることだろう。しかし、どうなることやら。とりあえず寝床だけ。
 さて、食事をどうしよう。

 前室で湯を沸かしてラーメンでもよい。もちろん一応準備をしている。しかしながら、だんだん風が強まってきた。面倒だ。えぇい、どこかに食べに行ってしまえ。だいたい、真冬の東北でキャンプをしようと思いつくだけでもキテるのに、無理して食事までまっとうに作って食べなくてもいいではないか。

 よし、どこか店で食べるのだ。

 というわけで、車で走ること20分。国道46号沿いの韓国料理店へ向かった。とにかく体を温めるものを食べよう。肉、そしてチゲ。しっかり食べて体の中から熱を発生、寒さに負けないように努めた。

 アツアツのチゲ。一生懸命食べようとして、口の中を少しやけどしたらしい。水膨れができている。口の中の水膨れ、舌で探るとやたら大きいように思える。きっと実際はそんなに大きくはないのだろうけれども。と、暖かいものを食べるだけ食べて、キャンプ場へ戻る。何なら近くの温泉で風呂に入ってもよかったのだが、そこまではせずに我慢する。
 キャンプ場に着いた。雪が降り始め、風が出てきた。寒いなか、起きていても仕方がない。さっさとテントに潜り込む。前室に靴を揃え、そそくさと寝袋のなかへ。ジャンパーを脱ぎ、帽子はかぶったままで横になる。眠れないほど寒くはないが、風の音が気になる。

 ラジオをつける。民放で、ラジオドラマというか、アナウンサーらによる朗読劇を放送していた。高橋克彦の「遠い記憶」。実に怖い話だ。盛岡を久しぶりに訪ねた主人公が、ある女性(実は幼なじみだった、と本人は後から気づく)と出会う。案内されて街を歩くうちに、子供の頃過ごした街の記憶が次第によみがえってくるという話。

 それが明るい話では到底なく、聞いていて寒気がする見事な仕上がりだった。最後まで身動き一つせずに聞き入ってしまった。寒い夜に何というものを聞いてしまったのか…。作品は良質なのだが、聞いた私のおかれた環境が雪の中の孤独なテント。むむむ。
 本も持ってきたが、手を出して読むのが億劫だ。しかも、寝袋の縁、鼻に近いところが湿ってきた。吐く息が寒さで水滴になっているのだ。これはいずれ凍るだろう。よく見れば、テントの内側にも水滴がついている。

 これこそが寒さの副産物なのだな。本格的な冬キャンプをする場合でも、こうした結露との戦いが続くのかも知れないと想像してみた。防寒だけではない。結露をクリアせねば、冬の快適なキャンプは実現しないのだろう。しかし、どんな方法があるのだろう。愛好家は、それともこの結露さえよしとして冬の野に憩うのだろうか。



 眠ろう。しかしだ、深夜になってだんだん風雪が強まってきた。テントを雪の粒が叩く音、そして風がテントを揺さぶる力が眠りを妨げる。到底眠れそうにない。焼酎でもなめてみるか、とも思ったが、とても取り出す気にならない。早く眠りに落ちて、早く朝を迎えたい、そんな気持ちだ。
 キャンプ場のすぐ外を走る国道は、除雪車がやってきて深夜から作業をしていた。ご苦労様である。黄色い回転灯がチラチラとこちらのテントにも光を投げかける。それはいいのだが、一台の「よく走りそうなスポーツ車」がうるさい。同じところを行ったりきたりして、雪の道を猛スピードで発進する練習?をしているのだ。時折、こちらのキャンプ場にまで入ってきては、アクセルを乱暴に踏んで尻を振るような走り方をしている。

 夜中だぞ。何やってんだ。正月から。…と憤ってみたが、これはすなわち私自身にも言えること。正月の夜中から、ひとりで吹雪の中で何をしているんだ私。憤るのは中止。音は気になるが、何も考えずにサッサと寝てしまおう。

 一度、夜中に排水のために外に出た。フル装備で出なければ凍えそうだ。気温は確かに氷点下5度くらいだったと思うが、風があるので外にいるのがとても辛い。星を眺めるなど考えられない天候になってしまった。仕方のないことだ。

 変な車はどこかへ走り去ったらしい。遠く近く、除雪車の音だけが静かに息づいていた。しかし、テントに入ると、例によってテントを揺する風の音。私の腕時計には、日の出と日の入りの時刻が表示される。まだ明るくなるまでには時間がある。身を小さくして息を潜め、ただひたすらに夜明けを心待ちにする。


 明け方。6時に起きだした。東の空が白んでいる。夜と朝が同居する時間。この、夜明けの始まりがもっとも美しい。カメラを手にテントを出る。東の空に向かって立つと、西つまり背後から吹き抜けた風が東の空に向かって雪けむりを激しく吹き起こす。寒さも忘れ、しばらく呆然と眺めた。

 美しい光景を正月から独り占めできた。これが私にとっての初日の出、か。今年も楽しいキャンプができますように。そのためにも健康で、仕事も元気にこなさなければなるまい。心が引き締まり、決意を新たにした。



 そんな個人的な儀式を済ませた後は、悠長にテントを畳んでいる時間はない。サッサと丸めて車に積み、逃げるようにキャンプ場を後にした。

 目指すは24時間営業の店。何か温かいものを食べよう。そういえばBSE騒動で吉野家が特盛の販売を取りやめたっけ。大盛りでは物足りない。吹雪の中で一夜を明かしたというのに、私の食欲は正月からなんとも旺盛であった。

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