2004年2月28日(土)
地獄の骨折キャンプ
石鳥谷町 戸塚森森林公園キャンプ場



 今年は閏年である。2月が29日まである。しばらく公私ともに忙しくてキャンプができなかったが、この土日は幸いにして体が空いている。日曜は午後からの勤務となっているが、近場で、午前中に撤収してシャワーを浴びればOKだ。キャンプをしよう。

 滝沢村の「相の沢」は私にとって最もなじみ深いところだが、他にも魅力あるキャンプ場を訪れてみたい。開発の意味も込めて、盛岡の南、石鳥谷町に向かうことにした。南部杜氏の里として、酒蔵や、仕込み桶をかたどったオブジェが通りのあちこちに見える町。

 前日までに荷物はまとめておいた。1月に購入したモンベルのシュラフ「スーパーストレッチダウンハガー#1」の記念すべき初の実地使用となる。購入後まもなく新製品が現れて未使用のうちに価格が下がったことは忘れて、フィールドでの寝心地を楽しみにする。前回、準備や決心に手間取って出発が遅れたので、それを教訓に今回はさっさと出発。
 現場は、東北新幹線の線路に近い、小高い山にある。戸塚森森林公園(とづかもり・しんりんこうえん)。国道4号を逸れて456号を南下。道沿いの案内表示を便りに左折して現場へ到着した。



 人の気配はなく、山には雪が残っている。平野部の雪はほとんど見えなくなっていたが、斜面は木々の間が白い。坂を上っていくと、路面にも雪が張り付いていた。

 道の右手斜面にベンチやテーブルが見えてくる。さらに進むとテントサイト。その奥にはバンガローも揃っている。この公園は今は冬休みで、開園は4月下旬。奥の駐車場に宅配業者のトラックが停まっていて、その中でドライバーが昼寝をしていたほかは、人がいない。


ファイヤーサークルの奥にバンガロー群

 少し戻って、テント設営に適した場所を探す。テントサイトは傾斜があって、木でできたテラスのようなテントデッキがいくつかある。私のムーンライトテントは、そうしたテントデッキに張ることができないタイプだ。テントサイトとバンガロー群の間、ファイヤーサークルのあたりが傾斜もなくて好適なようだ。そこに決めた。


この林の向こうに新幹線が走る

 道から高低差数メートルの坂を上るとファイヤーサークル。中心付近は雪に覆われているが、道路寄りの外周は土が見えている。土というか、落ちた松の葉が敷き詰められているのだ。昨年のシーズンが終わってから数ヶ月、誰も歩いていないのだろう。靴の下に、ふかふかとした心地よい反発を感じる。


旅の友、ムーンライトテント2


テントの向こう、数メートル下に狭い道路がある

 空は曇っていて、時折細かな雨粒や雪が降ってきたが長続きせず、すぐまた元の曇り空に戻る。テントのそばでぼんやり読書をしたりして過ごす。新幹線の線路からは数百メートルしか離れていない。時折、うなりをあげて新幹線が通るが、それほど大きな音ではない。
 矢巾のラジオ送信所からはそれほど離れていないし見通せる位置関係だと思うが、どうもAMラジオの入りが悪い。おかしいなと思っていたら、ラジオの電池が切れていた。単三型は車の道具箱に入れておいたはずだが、取り出すのが面倒だ。アマ無線のハンディ機VX-7でラジオを聴くことにする。音質は上々。花巻空港の管制も良好である。離陸機が頭上を通り過ぎていく。


わかりにくいが、ふきのとう

 道は、時々思い出したように車が通る。私のテントに気づいた人は、「なぜこの寒い時期に」という顔をこちらに向けて通り過ぎる。


道路から見ればこんな感じ。怪しい?

 怪しんだ人が通報でもしたのか、パトカーがやってきて車の近くに停まった。

 警官が2人降りてきた。「今日はここに泊まるんですか。一人で?」「はい、そうです」「この時期は、ここに人が泊まるのは珍しいですからね」「そうでしょうね」。

 警官は私の車のナンバーを見た。「ご旅行ですか」「いえ、盛岡に住んでます」「あぁ、盛岡に。県外ナンバーなものだから。じゃ、気をつけて」「はいどーも」。

 物腰は穏やかだったが、これが私にとって生まれて初めての職務質問である。わははは。本格的に怪しいみたいだぞ。こりゃ愉快だ。


すぐそこまで雪

 夕方になれば日も暮れる。17時を過ぎてもそこそこ明るいのだから、確実に日は長くなっているのだと感じる。風呂にしよう。

 紫波町の「ラ・フランス温泉館」へ車を走らせる。ただ、腹も減った。その手前で店を見つけてそばを食べる。ダッタンそば。体にいいらしい。閉店間際だったためか店員は愛想もなかったが、味はよかった。また食べてもよい。

 風呂も快適、さっぱりした気持ちでキャンプ場へ戻る。20時頃だったか、途中通った石鳥谷の町中にも人影はなかった。
 闇に包まれたテント脇、ロウソクに火をつける。従来使ってきたキャンドルランタン(大)に加えて、小さいロウソクも導入した。大きい方が明るいに決まっているが、雰囲気でいえば小型も悪くない。サブランタンとしての活躍が期待できる。

 自宅の炊飯器に入ったまま数日が過ぎたご飯を持ってきた。それを雑炊にして食べる。コッヘルでご飯を煮て、雑炊の素と卵を入れる。煮立ったところでイタダキマス。アツアツの雑炊を美味しく食べた。

 これなら胃に優しいし、準備も楽だ。今年のキャンプは雑炊に注目してみようと思った。
 スキットルを取り出して焼酎を少し飲んでみたが、夜も更けてくるとさすがに寒さが厳しくなってきた。雪は減ったとはいえ、まだまだ春とは呼べない気候。外にいるのが辛くなったのでテントへ潜る。

 実地デビューのマミー型シュラフは実に快適だ。本も持ってきたが、シュラフの中で静かにラジオを聴く道を選んだ。日付が変わってしばらくした頃だろうか、静かに眠りに落ちていた。

 夜中、2度ほど排水に起きた。家で寝ているときは朝までグッスリなのだが、キャンプでは飲み物のこともあって夜中の排水は私には避けられない。

 夜明けの排水に起きたとき、空には星が出ていた。遠くから何やら声がするので見てみると、明かりの灯った細長い建物が見える。近くに養鶏場があったのだ。朝になると鳴き出すのは、養鶏場で暮らす鶏も同じなのだな。最近国内でも大変な鶏業界。どうか頑張ってほしいと心の中で念じた。


快適に眠れた

 朝。7時頃目を覚ますと雨音が聞こえていた。ちっ。さっきまで星が出ていたじゃないか。仕方ない、テントの乾燥は帰ってからだ。食事もせずに、撤収に取りかかった。快適だったシュラフを畳む。マミー型の真骨頂、この収納を目の当たりにすると封筒型が恐ろしく嵩張るように思えてならない。

 テントの中の物を車に積み込み、テントを片づけ、まわりにあった物を車に積もうとしていた頃、事故は起きてしまった。車に向かう下り坂、松の濡れ落ち葉に足を滑らせ、私はしりもちをついた。その瞬間、右手に激痛。持っていたキャンドルランタンの瓶がゴロリと転がる。持ったまま手をついてしまったのだ。

 小指が痛い。変な風に曲げてしまったのだろう。「これは折れたか」。指は動くが、痛みがある。まっすぐ伸ばしても薬指にピッタリとは寄り添わず、不気味な隙間が少しあいていた。厄介なことになった。片づけを終え、汚れた尻の下にフリースを敷いて運転席に乗り込む。運転には支障はない。右手小指を庇いながら自宅へ向かった。
 シャワー・着替えを済ませて救急外来を受診。医師に当時のことを聞かれる。「場所はどこですか」「石鳥谷の公園です」「何をしていたんですか」「キャンプの片づけをしていて…」「キャンプですか。誰と?」「一人で」「一人!」……ここでも珍しい患者になってしまった。

 X線写真を見ると、私にもわかる骨折だった。あぁ、やっぱりか。「この骨、2カ所折れてますから複雑骨折ですね」「複雑骨折!」「でも、ズレも少ないので治りは早いと思いますよ」。救急外来では応急的な固定まで。翌日、近くの総合病院を改めて受診することにして、紹介状を受け取った。


右手小指複雑骨折記念写真


 結果、全治3週間。ほとんど骨がずれていないので手術やギプスは不要で、軽く固定したままで経過を見ることとなった。閏日の2/29に初骨折。忘れられない日となった。やれやれ。

 しばらくは不便な暮らしが続く。楽しくキャンプをやっても、怪我をしたのでは台無しだ。安全への気配りに落ち度があったのだろう。怪我が治ってキャンプを再開するときには、安全管理に抜かりのないようにしたい。

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