2004年5月2日(土)から2泊
旧友を引き回し野宿
青森県大間町 大間崎キャンプ場
宮城県名取市 第二臨空公園
 五月の連休、私には仕事があって連休にはならなかった。妙な飛び石のようになってしまい、無残なボロボロの姿になってしまっていた。その隙をついて旧友が訪ねてきてくれた。遠路はるばる、飛行機を乗り継いで。東北上陸はこれが初めてという。

 中学時代の友人で、一緒に生徒会活動にも取り組んだ奴だ。Nという。Nもまた故郷を離れ、いまは南西諸島のある島で学校の教員として活躍している。時々電話で話すが、さすがに数年住んでいるためか、島の言葉が入ってきて理解不能な発話をすることがある。いい奴だ。最も信頼している友人の一人である。

 夜、仕事を終えた私は駅へ迎えに行った。本当は、奄美→伊丹→花巻のルートで岩手入りする予定だった。しかし、奄美発の飛行機が遅れたため乗り継ぎができなくなって、結局仙台着。そこから新幹線などで盛岡に到着したのだった。少し疲れている様子だ。

 夜の到着後、近所の焼肉店へNを連行した。この店は安くてうまいと評判がよく、いつもにぎわっている。盛岡といえばレベルの高い焼肉。そして盛岡冷麺。腹いっぱい食わせて歓迎した。
5月2日 盛岡→二戸→八戸→大間

 長い旅が始まった。私は、今回のN迎撃を「食の旅」と位置づけていた。遠くから来た友に、東北の豊かな食を満喫して帰ってもらいたいと考えた。まずは高速道路で二戸入り。岩手のそばを食わせるためだ。岩手一うまい(と私は思っている)そばが昼飯。



 続いて、一般道で八戸へ。途中、青森県境で写真を撮りたいというので記念写真などを撮った。ほどなく八戸、目指すは「八食センター」。水産系を中心に、食料品が集まる一般あるいは観光客向けの巨大なマーケットだ。地元の人はもっと安くておいしい店を知っているのだろうけれど、外から来た不案内な観光客にはこうした店が便利である。

 駐車場は連休とあって各県のナンバーをつけた乗用車で混雑している。少し並んで食堂に入り、ウニやイクラやホタテが乗った海鮮丼を食わせる。同時に握りずしも注文して魚介類をたらふく食った。Nはいたく感動していたようだった。市場のように売り場が並ぶところを歩き、夕食用の買出しも済ませておいた。
 さらに北に進路をとり、下北半島をひた走る。目指すは最北端の大間町だ。マグロの一本釣りで知られ、NHKの連続テレビ小説「私の青空」の舞台となった町。いまも各地にポスターなどがある。


食堂の正面にあった実物大写真パネル



「いらしゃいませ」て…

 途中、横浜町で「菜の花ソフトクリーム」を食べる。休憩しながら、長い長い道を走り続ける。何かの間違いじゃないかと思うほど遠い。それでも、連休は交通取り締まりも多いのではないかと勘ぐり、スピードは控えめにしておく。

 日が沈みそうなころ、大間崎に着いた。とにかく風が強い。東よりの風だ。最北端の碑に出る道から一つ内側へ入ったところへ、「大間崎テントサイト」がある。キャンプ場というか、広場に野宿をするのだ。旅をするバイク、自転車、車が集まる。

大間崎テントサイト



キャンピングカー、普通車…さまざま


 風に苦しみながらテントを張る。やがて火をおこし、炭焼きの支度をする。今夜もごちそうだ。トイレで出会った若者と挨拶に続いて少し言葉を交わした。新潟を出て、友達と二人で自転車で日本一周に挑戦しているという。これぞ大間。本当にいたよこんな若者が。うれしくなったので、一緒に呑もうと声をかけておいた。


トイレ。紙は持参のこと


 20代前半の若者二人。T君とK君。二人とも、仕事を辞めて日本一周に出たという。うらやましい限りだ。また、女に振られたということも旅の動機として重要な位置を占めるらしい。

 八戸で買ってきた鮭を焼く。めちゃくちゃ脂が乗った部分。表面こんがり、中はジューシー。それはそれは美味であった。若者二人は野宿をしながら、節約を至上命題として旅を続けている。食事を切り詰めているはずなので、当然彼らにも分けた。旅を始めてこれが今までで最高の食事です、と、おいしそうに食べた。
 Nは、奄美から黒糖焼酎をあらかじめ送っておいてくれた。香りがとてもよく飲みやすくていい焼酎だ。水や茶で割りながら、楽しむ。
 この大間崎には不特定多数の旅人が集まるため、住民の事も配慮してのことだろうか、夜中にパトカーが見回りに来た。灯火を消して、静かにテントサイトの周囲を2度ほど回って、どこかへ行った。

 青年の1人が速いペースで飲んで、酔っぱらってしまった。時計の針は1時を回り、すでにあたりのテントは明かりを消して早々と寝静まっていた。我々も寝ることにする。こういうところで学生のようにいつまでも騒ぐのは禁物だ。

 テントは小川の「ハリフォード」。4人で並んで寝た実績がある。これに、私とNの二人。広々と使えるが、これくらいで快適だ。
 いつも1人でキャンプをしていると、同居人がいるのが新鮮だ。ただ、私もNも困った共通の悩みを抱えている。いびきだ。早く寝た方が勝ち。しかし、誰かと一緒にいると私の方が決まって遅く眠りにつく。今回は、Nのいびきを聞きながら、眠りに落ちるタイミングを探ることになった。
 夜中に少しだけ小雨が降ったようだったが、翌朝、風も収まって穏やかな朝を迎えていた。ただ、上空は厚い雲に覆われていて、日の出は拝めなかった。テントサイトでは、みんな起き出してきて、空を舞う無数のカモメ(のような鳥)にエサを投げて、ナイスキャッチなどとはしゃいでいた。のどかだった。


舞う鳥

 青年二人の旅が成功するように願って、彼らに朝飯をごちそうすることにした。大間といえばマグロ。昼前の開店を待ってほどよき店に入る。大盤振る舞いである。決して安くはないけれど、そこは稼ぎのある社会人。もっといえば革命的労働者。若者を応援しようではないか。

 思えば私もこういう旅をしてみたかった。日本一周、しかも自転車なんてすばらしいじゃないか。いまの私には決して真似できないこと。それを彼らはやっている。応援せずにいられない。4人でマグロ丼をおいしく食べて、旅の前途に幸多かれと願った。


青年二人

 テントをたたみ、道具を積み込んで出発。別れ際に握手をした。彼らはちゃんと手袋を取って、しっかりと私の手を握って応えた。大人なら当たり前の仕草だが、彼らの礼儀正しさを感じたような気がして嬉しかった。降り始めた小雨の中、彼らは帽子を取って私たちの車を見送ってくれた。
5月3日 大間→仙台

 下北半島を走るこのルートに、近道はない。昨日とは逆に、ひたすら南へと走り続ける。途中、六ヶ所村の核施設の近くを通り、小川原湖の近くへ達した。時折小雨がぱらつくあいにくの天気。下北半島は道もまっすぐで、風力発電の大きな風車など、珍しい景色も楽しめる。天気がよければもっとよかったのだが…。

 三沢のあたりで風呂に入り、昨日の汗を流す。この時点ですでに午後3時を過ぎている。さっさと高速に乗り、八戸道から東北道へ。岩手の平野部に見える風景、たとえば、田園地帯に点在する、北西側に木を植えた住居など。南国育ち・南国在住のNには新鮮に見えたようだ。古い記憶をたどるなら、そういえば社会の教科書に載っていたような「北国の暮らし」。かつて学んだおぼろげな記憶と、目の前に広がる景色とが有機的につながった。

 いっきに岩手県を縦断して県境を越え、仙台市に入る。仙台では、とりあえず牛タンを食べることにしていた。焼肉・冷麺、そば、海の幸、そして牛タン。東北のうまいものを食べさせる旅の締めくくりだ。

 東北のうまいもの、それは他にももっとたくさんあるはずだ。だから本当はもっとゆっくり来てほしかったし、私もゆっくり時間をかけてもてなしたかった。しかし、忙しい社会人の身。お互いに時間をもてあましているわけではない。限られた時間で、私にとって身近なうまいものを食べさせたつもりだった。
 仙台市内で、肉厚で歯ごたえのある牛タンを堪能した後は、一路仙台空港へ向けて移動する。仙台市内からはさほど離れていない。最後の夜も、キャンプというか野宿にした。翌朝の飛行機でNは島へ帰る。空港に7時頃に着いていなければいけないので、もう空港のすぐ近くで野営するしかない。

 夜、時計を見ると10時を過ぎている。最初は岩沼海浜公園に行ってみたが、ここは夜間はゲートが閉まるところ。ネットで調べた限り場所がよさそうだったのだが、ゲートが閉まっていては手も足も出ない。それに、怪しげな暗い道。夜中に狂った暴走族でも現れて、ならず者どもに囲まれてしまったのでは命が危ない。

 次の候補地を物色。滑走路の東側、公園があるということがわかっていたので行ってみる。ひとつは滑走路の東端のすぐ北。広い駐車場があったが、夜遅いのに車が何台も止まっている。お取り込み中のお二人さんもいるのだろう。ここから見える夜の空港、きっと灯火が美しいからだろう。遠慮しよう。明るい外灯も少し気になる。もうひとつの公園は、滑走路短のすぐそば、テニスコートがあるところ。入ってみると無人だ。第二臨空公園。

車の向こう、着陸進入灯がある

 駐車場の一番奥に車をとめて、そのさらに奥、テニスコート脇の芝生にテントを張る。小雨がパラパラと降り続く。東屋でもあればその下に設営をと思ったが、そうもいかない。見当たらない。フェンス際、植え込みとの間にピッタリフィットのテント。これはもはやキャンプなどという浮かれたはしゃいだものなどでは到底なく、野宿である。野宿に他ならない。


ぎりぎりの野宿



こんなところに、よくもまぁ

 きちんとした宿を取ればいいのにと思う向きもあろうが、ここは男らしく、飾らず野宿。ただ寝るだけのところだから、テントと寝袋だけ。火を使って料理をしたりせず、途中で買ってきたマクドナルドを食べる。酒は一口ずつ飲むだけ。ますます野宿ではないか。お互い、外見よりも内容に真実を見出す性格。余計なものを排除できる分だけ、お互いの来し方行く末を語り合うことができた。
 朝。雨は降り続く。テントをたたんで丸め、人が起きだしてくる前に撤収する。こうした公園、テニスコート、本当はキャンプなどしてはいけないところだろう。でもこれはキャンプではない。野宿だ。朝を待つだけの行為だ。そう自分を弁護しつつの一夜であった。


こんな場所だもの、長居は無用

 空港へ行くには少し時間がある。かといって、これ以上テニスコートに留まっているわけにはいかない。国道沿いまで車を走らせ、24時間営業のレストランへ入る。軽く朝飯を食べる。
 これは現実へ引き戻される「緩衝材」の時間。これからのこと、近い将来の話、具体的にはこの後すぐどんな仕事があるのか、など。世間の連休が終わればNは再び生徒たちと顔をあわせることになる。私はこのあと昼から仕事だ。…はぁぁ、と二人ため息をつく。まぁお互いがんばろうや。また元気な姿で会おうや。約束をして、握手をする。

 朝早く人影もまばらな仙台空港。ターミナルの車寄せでNを降ろす。カウンターのある出発ロビーのフロアへ消えていくNの姿を見送った。私はこれから盛岡まで2時間半のドライブ。自宅でシャワーを浴び、心地よい疲労と充実感をかみしめながら職場へ向かった。

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