私の境遇…初めての方へ
■私は、善良な納税者であり、労働者の男。1970年代後半の生まれ。妻が一人、娘がひとり。

 出身地から遠く離れた岩手県で社会人生活をスタートし、4年後、夏の定期異動で釧路へ。初めて東北地方で暮らしたあとは、初めての北海道暮らし。そして、学生時代を過ごした東京へと戻った。早いもので、ふるさとを離れてもう10年以上になる。

 北海道での暮らしはとても気に入った。魚がおいしいこと、魚以外にもうまいものが多いこと、そしてキャンプできそうな場所がたくさんあること。都会での暮らしに疲れると、岩手や釧路の良さが身にしみる。もはや自分は都会暮らしなどできない体なのだとあきらめている。

 釧路というと、夏は霧が多い土地だが、降り立った釧路空港もいきなりの霧、そして釧路の街も霧に覆われていた。家具も何もない部屋に荷物を置き、釧路川 沿いを歩いて街へ出たが、夜霧にかすむ街の灯はロマンチックでさえあった。到着後数時間であっという間に気に入ってしまった。だから、東京の暴力的な暑さ にはまだ慣れないし、到底耐えられない。
■職は、一応、第一希望とした職種だ。世間は我々のことを誤解しているのか競争率はばかに高い。
 だけど、時間外労働や不規則勤務が多くて疲れがとれない。連日、帰宅は深夜。基本的にほとんど残業前提の毎日だから、そりゃストレスもたまる。家に帰るのは、眠るためだけ。部屋の掃除をする暇もない。
 愛想笑いをするたびに、命が削れていく音が聞こえる。ゴリッ、ゴリッ。人生について、来し方行く末について、思いを致す余裕はない。

 しかし、そうは言ってもやりがいは間違いなし。選んだことを後悔してはいないという複雑な労働者の心境である。それに、やれ派遣切りだ雇い止めだというニュースに事欠かないこのご時世、あまり文句ばかり言うと罰が当たるというものだ。
■休暇は一応「ある」。わが社の組合は頑張っていて、休暇は守られているはずだ。ただ、休んだことにして仕事をしたりすることも日常茶飯事だし、残業も時間数を少なく申請することになる。こんなに頑張って働いていても、そのままでは家庭内支持率も危うい。苦労は虚しい。
 サラリーマンになって以来、5月の連休なんて休んだことないし、お盆、正月とはほとんど無縁の生活を続けている。世間様が遊んでいるときに働いているわ けで、他職種の友達とスケジュールが合ったらそれは奇跡に近い。と言いながら、国民的な休日にはどこも混むし、切符が取れてもやたら高額だ。だったら人様 とは違う時期に休めるのはありがたいとも少し思う。

 ともあれ、休みは貴重だ

 自分で積極的に守らないと休めなくなってしまう。同僚も、休まずひたすらに働いて、一段落してやっと休むという生活を繰り返している。
■運良く、自由になる休日があったなら。やはり、人間らしさを取り戻すこ とに時間を費やしたい。苦しみから遠ざかり、仕事を忘れ、休まなければ。家族が増えた今、それはますます遠い願いとなりつつある。家族サービスをする、家 族と過ごす時間それ自体はすばらしい喜びであり、かけがえのない幸せを得ている証しであるのは揺るぎない真実なのだけれど、一方で、ひとりの男としては何 かをそっと失うということだ。

 何か仕事上のことに気を使い、思い悩む休日ならば、それは普段と何も変わらない。休んだことにはならない。



 そのためには、やはりひとりになることだ。それも徹底的に、誰もいないところで。

 他人や世間とのしがらみを断ち切って、しみじみ深々と孤独をかみしめたい。独身時代に私が出した結論が、たまたま「ひとりキャンプ」だった。

孤独をかみしめるということ

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